荻原規子作品



荻原作品100のお題


 01.恋人(空色)
 02.友情(白鳥)
 03.幼なじみ(白鳥)
 04.仲間(薄紅)
 05.兄弟(姉妹)(薄紅)
 06.片思い(樹上)
 07.悲恋(薄紅)
 08.傷(白鳥)
 09.その後(薄紅)
 10.神(薄紅)
 11.剣(空色)
 12.旅(薄紅)
 13.変身(薄紅)
 14.学校(樹上)
 15.王子(皇子)
 16.姫
 17.涙
 18.笑顔(薄紅)
 19.歌
 20.運命(薄紅)
 21.願い(白鳥)
 22.月
 23.夜
 24.海
 25.風(空色)

 26.雨(薄紅)
 27.炎
 28.雪(白鳥)
 29.花(白鳥)
 30.星(薄紅)
 31.光(薄紅)
 32.影
 33.幸せ(西魔女)
 34.生意気
 35.闘い
 36.告白
 37.夏(樹上)
 38.飛ぶ
 39.市場(薄紅)
 40.おしゃれ (薄紅)
 41.わがまま(西魔女)
 42.別れ
 43.出会い
 44.再会(薄紅)
 45.思い出
 46.赤ん坊(空色)
 47.女神(RDG)
 48.女装
 49.男装(薄紅)
 50.祭

 51.眼鏡
 52.お子様
 53.食事(薄紅)
 54.夢
 55.勇気
 56.死
 57.生
 58.キス(薄紅)
 59.ケンカ
 60.動物
 61.2つで1つ(空色)
 62.母
 63.大蛇
 64.悪夢
 65.赤
 66.白
 67.黒
 68.花嫁(空色)
 69.声(白鳥)
 70.呪い
 71.雪合戦
 72.散歩
 73.お邪魔虫(薄紅)
 74.孤児
 75.最強

 76.物語
 77.秘密
 78.約束(白鳥)
 79.カリスマ
 80.若き日の… (薄紅)
 81.人気者
 82.日常
 83.出発
 84.ありがとう(薄紅)
 85.キラキラ
 86.嫉妬
 87.大嫌い!(白鳥)
 88.怒
 89.喜
 90.眠
 91.縛(白鳥)
 92.帰(空色)
 93.殺
 94.冷
 95.贈
 96.悪(白鳥)
 87.名場面
 98.名台詞
 99.ヒーロー
100.ヒロイン


空色勾玉連作
1 → 68 → 25 → 61


薄紅天女連作
目指せ竹芝珍道中!
 → 変身 → お邪魔虫 → おしゃれ → 市場  → 若き日の → その後 →  → 再会


白鳥遺伝連作
風花春来〜花とともに来るは〜
 →  → 約束 →  → 願い








+恋人+


「巫女でも、恋人でもどちらでも、いい・・・のよね?」
「そう言ったよなぁ〜、俺。」
カァ、と鳴きつつ鳥彦はいった。
「今も?」
輝も闇もなくなってしまった今も?
「今は、恋人じゃないの?」
「そうなの?」
鳥彦は飛び上がりながらとある人に近づいていった。
「・・・だって。」
そう言ってその人物の頭をこつんとつつく。
「こいつはもう鎮めの巫女を必要とする暴れ神じゃないんだから。巫女じゃなくて良いんだよ。 狭也の好きに、すればね。」
そう言って鳥彦は飛び去って言った。訳のわからないことを耳元で言われた挙句につつかれた、稚羽矢は首をかしげる。
「狭也、鳥彦の今の言葉は何なんだ?」
「・・・・。稚羽矢は変わったってことよ。」
狭也は稚羽矢を手招きして自分の隣を指差した。稚羽矢はおとなしくそれに従って狭也の隣に腰を下ろした。
「ねぇ、稚羽矢。」
「?」
首をかしげる稚羽矢に狭也は微笑んだ。
「私は、もう巫女をやめていい?」
「!それはだめだっ!」
稚羽矢はすぐに返答した。狭也は驚いて瞬いた。
「どうして?」
「巫女を辞めるとは、私の鎮めの役を辞めるということだろう?」
「・・・そうだけど・・・・だめなの?」
「巫女を辞めてしまったら狭也は私の元からいなくなるのだろう?それは絶対に嫌だ。何があっても嫌だ。」
しっかりと狭也の手を握って稚羽矢はきっぱりと応えた。 あまりにも真剣にはっきりと応えてくれたので狭也は恥ずかしくなってしまった。 なぜなら狭也自身がそう言ってほしかったからだ。そばにいてほしい、と。
「・・・あの。」
真っ赤になりながら狭也は言った。
「巫女は辞めるけど、稚羽矢の、そばには・・・・ちゃんといるわ。」
「本当か?」
「私がいたいんだもの、稚羽矢のそばに。」
「・・・・ありがとう。」
「・・・・うん。」
ますます恥ずかしくなって狭也はうつむきながら応えた。
「なら狭也は恋人だな。」
「へっっ?!」
そんな言葉が稚羽矢の口から出るとは想像できなかったので狭也は間の抜けた声を上げてしまった。
「だって、鳥彦が・・・何の役目もなくそばにいてくれて、いてほしいと思う存在を恋人と呼ぶと教えてくれたんだ。 狭也は、そうなんだろう・・・・?」
「・・・。」
どう答えればいいのだろう・・・・。
「違うのか・・・?」
ちょっと淋しそうに言った稚羽矢が愛しくて。

「そうよ。私は貴方の恋人よ。」

胸を張ってはいえないけれど。

→68,花嫁





+友情+


「小倶那。」
「菅流か。どうした?」
「遠子、知らないか?」
「とおこ・・・?」
小倶那がちょこんと首をかしげた、ある冬の日。

「部屋にいないの?遠子が?」
「そう、いないんだ。あいつ、何処行ったんだろう・・・?」
菅流は辺りを見回す。
「象子の土産の相談するはずなのになぁ〜・・・。」
「本家の中の姫か。」
記憶をたどるように小倶那は上を見上げる。
「そーそー。別嬪だぞ〜っ。」
「遠子以外には興味ない。」
きっぱりと断言した小倶那に菅流はつまらなそうにため息をついた。
「お前ってからかいがいのない奴。」
「おぬしにからかわれても面白くないだろう。」
反発した小倶那を見て菅流はにやりと笑った。
「ま、そうだな。からかうなら遠子だな。」
「そうだろう?」
そこへ遠子がやってきた。
「菅流ったらこんなところにいたのね。」
「お、遠子。どこにいたんだ?土産どーするんだよ?」
「もう決めちゃったの。準備ももうしたわ。ところで菅流は小倶那と何をしていたの?」
首をかしげる遠子を見て菅流は小倶那と目を合わせた。

"からかうなら遠子"

「内緒だな!な、小倶那。」
こくりと頷いた小倶那を見て遠子はむっとする。
「ど、どういうことよ。説明してちょうだい!」
菅流は手で遠子を制した。
「これは男にしかわからない。女の遠子には絶対わからない。」
「はぁ?」
「な、小倶那。」
「ああ、僕と菅流の内緒だ。」
「男の友情!!」
菅流が小倶那と肩を組んで笑った。 それにつられて小倶那も笑う。遠子はわけがわからず、また首をかしげた。
「いったい何なのよ、あんたたち。」
「ん〜?友達。」
いたずらな口調で言う菅流にあきあきしたのかため息をついて遠子は去っていった。
「からかいがいがあるなぁ・・・。」
うんと菅流に賛同するように小倶那は頷いた。 男の友情の始まりである。







+幼なじみ+

ずっと同じものを見て育ってきた。

私がここで
彼があそこで

生きると決めた瞬間まで。
待っていると分かれた瞬間から、生きる時間が違っていた。
大切な、大切な、幼なじみの。
「遠子・・・。」
「大丈夫、管流。」
胸の懐剣を抱きながら遠子は目を瞑って意識を集中させた。

破滅の渦を感じた。

破壊をもたらす大蛇の力を滅ぼすために。
別れた間に経った時を滅するために。
「行くわ。」
勾玉の光を握り締めて、遠子は立った。






+仲間+


あなたは光。
わたくしの光。
どうして、そんなに輝いているんだろう・・・・。

「おかえりなさい。」
苑上は阿高を見て微笑んだ。
「あれ、千種は?」
「千種は裏にいるわ。私は用が済んだから・・・・。」
そう言って苑上は井戸端に座り込んで布を洗っていた。
「千種の洗濯物の手伝いをしてるの。」
「ふぅん。そっか。」
「千種がどうかしたの?」
「いや・・・あのな。」
言いにくそうに阿高は言った。
「真守が千種を取り返しにくるって噂があってさ、それ聞いた藤太が今にも飛び出しそうだから止めて欲しいと・・・。」
「まぁ!」
目をぱちくりして苑上は言った。
「そんなに相手のご両親に反対されていたの、千種。」
「両親ってか、従兄弟。」
「!藤太!!」
苑上の後ろにひょっこりと現れた藤太の頬にはくっきりと手形があった。
「・・・千種にやられたのでしょう?それ。」
「鈴は妙なところで鋭いよなぁ〜。」
くすりと笑って藤太に背を向けたまま苑上は言った。
「"これは私の問題だから藤太は口出ししないで。口出しされたら私がさらわれてまでここに来た意味がなくなるでしょう! それとも何?藤太は私の両親との関係のほうが大事だって言うのっ?!"って言われたんじゃないの?」
藤太は一歩下がった。
「藤太・・・あたってるのか?」
阿高が驚きの目で藤太を見た。藤太は黙って口をへの字に曲げている。
「・・・なんで、わかったんだよ・・・・。千種が言ったこと。」
苑上は答えずにその場を立ち去ろうとした。
「鈴、教えろよっ!」
藤太が大きく吼えるのでしかたなしに苑上は彼を振り返っていった。
「同じ立場なんだからわからないはずがないでしょう?」
さらわれてきた自分、さらわれてきた千種。 どこが違うというのだろう?
「わからないはずがないわ。わたくしと千種は同じなのだから。」
藤太と阿高が顔を見合わせた。
「さらわれ仲間なんて、嬉しくないようで嬉しいものね。」
笑った苑上に罰の悪そうな笑顔を、二人は送った。






+兄弟+


「・・・鈴、だよなぁ?アレ。」
「だろうな。」
きらめく衣装を身にまとった苑上に藤太も広梨も唖然としていた。
「「すっげぇー!!!」」
知らずと声が重なるのに、二人とも気付かず。
「「ぜいたくぅぅー!!!」」
同じ考えであるのにも、まったく気付かなかった。

「「売っちゃうのっっ!??」」
「え・・・ええ・・・・。」
二人の声に威圧されたように苑上の声が濁って聞こえた。阿高も吃驚したらしくちびクロをなでていた手を止めてしまっている。
「だって・・・目立っちゃうし、邪魔だし・・・。」
「「もったいないっ!!!」」
田舎ではめったに見ない品なのに、と心中で二人は思っていた。
「わたくしが持っているよりほかの誰かに持っていただいたほうがためになる場合だってあるでしょう?」
うっ、とつまったふたりをみて不思議そうに苑上は首をかしげた。
「・・・。二人とも、へんね。ね、阿高?」
「ああ・・・どうしたんだよ・・・?」
阿高も流石に心配になってきたらしく真剣な面持ちで二人を見る。
「わたくし、いけないことをしたかしら・・・?」
「いいや・・・。こいつらがおかしいんじゃないか?」
惜しそうに鈴が手にした彼女の着物を眺める二人の視線をさえぎるように阿高がそこに座った。
「な、なんだよ、阿高。」
「お前ら・・・・。」
「「・・・・。」」
「惜しいとかもったいないとか言う前にお前たちのもったいない頭の使い方をどうにかしろよ。」
「「なっ・・・・っ!」」
と声をそろえたがすぐに言い返せないことを2人は悟った。
「「・・・・。」」
「・・・?・・??・・・どうなってるのかしら?」
「いいんだ、鈴。ほうっておこう。それ、売りに行くんだろう?」
「え、ええ。そうだけど・・・。」
「行くぞ。」
「え、ええ。」
2人の変な行動に後ろ髪を引かれながらも鈴は阿高と共に出かけていった。
「・・・・・。」
「・・・・・・。」
後に残された2人はしばらくしてからどちらともなくため息をついた。そして言った。

「ねぇ、阿高。」
「なんだ?」
歩きながら鈴は阿高に言った。
「広梨と藤太、双子みたいだったわね。」
「双子?」
「言うことがそっくりですもの。」
「・・・・。確かに。兄弟みたいだったな。」
「そうね。」
そんな会話が2人の間で繰り広げられていることを当事者たちは知らなかった。何故なら彼らはその時こう言っていたからだ。
「「もったいない・・・・。」」





+片思い+

逃げた江藤君の背中を見つめた。 その背中に、夢の中の彼を重ねる。
「(ハールーンのときみたいに、痛くない。)」
自分の胸に手を当てた。でも、痛みは感じない。 なぜなら彼は確実にここにいてくれるから。 海の向こうへと去っていった彼とは違って、まだここにいるから。
「・・・・ねぇ。私、また恋してもいいかな?」
届かない言葉を、私を置き去りにしていった夢の彼へ。
「(あなたへの片思いは、これでおしまいにするね、ハールーン。)」
そして目を一度閉じて、もう一度開けて、彼が逃げていった方向へと足を踏み出した。

まぶたの上で、片思いをしていた彼が鮮やかに笑った。






+その後+

「そういえば・・・。」
竹芝一行を目指す4人の男女のうち、唯一の女、苑上が言った。
「あの後は、みんなは何をしていたの?」
「あの後?」
「都から阿高が、伊勢へ帰ったときよ。」
苑上がふわりと微笑んだ。
「藤太は養生していたのでしょう?でも、阿高と広梨は?」
「俺、と阿高?」
「どうしてたの?まだ社の修繕を手伝っていたの??」
首をかしげて聴いてくる苑上。だが2人はがんこにも口を割ろうとしなかった。

「きゃあぁあぁ〜vv」
「よかったですわねvv」

「・・・・・ごめん、阿高。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤太、アレは何だ?」
「・・・み、巫女さん?」

伊勢へ戻ってきた阿高と広梨を向かえたのは藤太の微笑ではなく社の中をこだまする黄色い声だった。
「きゃぁ〜v苦労した感じが残る横顔が素敵☆」
「少年から垢抜けて青年へと成長していくその過程のさなか肉体が良いわぁ〜vv」

「・・・・・・・・・悪い、阿高。」
「藤太、巫女は慎みを持つもんじゃないのか?千種みたいに・・・。」
「・・・禁欲生活だし。」

ちなみに藤太たちは阿高たちが出て行った後、たった二人残された男だったので連日これにあっていた。 それでも女受けがよくて愛想を適度に振りまくのが大の得意の藤太が事無きようにしていた。 だから彼らは黙ってここにいることができたのだ。だが。

「俺は無理だ。」
「「ごもっともで。」」

阿高のいうことに2人は頷いた。

「だから、藤太。」
「なんだ?」


「早く怪我治せ。」


藤太のためではなく、自分のためにいう阿高に藤太はこっそり涙を流した。
「(俺・・・叔父なのに。)」


「鈴。」
阿高がやっと口を開いた。自分の腕の中にいる少女に目線を落とす。
「人間には、聞いて良いものと悪いものがある。」
「聞いちゃだめなのね?わかったわ。」

「「わかってくれてありがとう。」」

巫女の禁欲ゆえの悲劇にあった、武蔵三人衆の体験は、誰にも一生語られることはなかった。

←80.若き日の  →30.星





+悲恋+

報われない、恋だった。

チキサニは生れ落ちたばかりの我が子を見つめた。 愛しい人との間にできた大切な命を。
「・・・ねえ、見てる?」
もういない存在へ、彼女は語りかけた。
「帝の血を引いているであろうあなたと、蝦夷の女神の間にできた子供よ。 どんな子に育つかしら・・・?」
手を伸ばして赤子の頬に触れた。みずみずしい命の弾力、暖かな生命の息吹を感じる。 それがそばにあることにチキサニは心の底から幸せを感じていた。
「・・・貴方は、生き延びるのよ。」
そのためにチキサニは子供を生んだ。そのためにこれから自分の命を使うのだ。 首から勾玉を外す。薄紅色の光を宿したままの勾玉に彼女は唇で触れた。
「勝総・・・・貴方に会いに行くわ。」
勾玉を、子供の首にかけた。それは光を失わず、赤子の腹の上で薄紅色を放ち続けている。
この世で、彼と彼女は結ばれなかった。運命に抗いきれず、手を離し、彼は先に旅立ってしまった。 先に行ったのであれば、追いかければいい。ただ、そのために、置いていく者がある。
「ごめんね、私、貴方のお母さんにはなれないわ・・・。」
授かった命を、置いていかなければならない。それが心残りだ。
「私は、いつでも貴方を見ているわ・・・勝総と一緒に。だから、・・・・・。」
侍女が子供を抱き上げた。
「・・・・その子を、お願い。何としてでも、生かしてあげなければ・・・。」
「・・・はい。」
「さようなら、わたしたちの、息子。」
そうして子供はこの地から逃れた。そして後に残された彼女に続きはなかった。 意識が混濁し始め、視界がゆがむ。
「ねえ、勝総、これでいいよね・・・?」
報われない恋だった。愛し、愛されたはずなのに、悲劇しか結末は与えてくれなかった。
「そっちで・・・幸せに、なろうね・・・・。」
目を閉じたときに頬を涙が滑り落ちた。







+傷+

そっと見上げながら、その傷に遠子は手を這わせた。
「・・・・遠子?」
「小倶那・・・・・傷、残っちゃったね。」
眉を寄せて、瞳を潤ませながら遠子は言った。

自分がつけた傷。
殺すためにつけた傷。
殺さずにすんだ傷。

遠子の表情を見て、小倶那はそっと自分の手を遠子の手に重ねた。
「ねぇ、遠子。僕はこの傷が残ってうれしいんだ。」
「・・・どうして?私は自分のおろかさしか感じないのに。」
「だって、君がつけてくれた印だから。」
ずっと離れていた。ずっと逢いたかった。繋がっている証がどうしても欲しかった。
「君とこの傷のおかげで、やっと繋がることができたんだ。」
額と額を重ねる。目と目と見つめあう。
「小倶那・・・。」
「遠子、ありがとう。」
「・・・・うん。」
そして静かに唇を合わせた。






+明暗+

私は光の子、貴方は闇の子。
でも、それはまるで反対で、私は闇と化し、彼は光と化した。
「・・・・・・・やみ、なのに。」
「鈴?」
阿高は苑上を振り返るが苑上はなんでもないというように頭を振る。 しかし気になるのか阿高は苑上から目を逸らさない。そんな阿高の視線を受けて 苑上は心配するなというように精一杯の笑顔を送った。その力ない笑顔を。 やはりそんな笑みを返されては安心できない、阿高は苑上のそばに腰を下ろしじっとその瞳を見つめた。 実は苑上はこれに弱い。阿高は普段無口で無愛想なぶんこういうことになると真剣そのもので逃れられる気がしないのだ。 逃れるように眼を閉じるが視線が痛いほど刺さってくるのがわかる。逃げられないのだ。
「阿高は光だということです。」
「どこがだ?」
首を少しかしげた阿高に少し近寄ってじっと目を見つめた。 茶色を帯びた目に宿る光。それは生きている証だ。そして苑上を生かしてくれる証だ。
「だってそうでしょう?怨霊なんて作り出す私たち皇が光であるはずがないでしょう。 むしろ私たちは闇に近い生き物なのです。輝の御子の血を引きながらにして闇を生み出すもの。 もうそれは光ではなく闇なのですから。」
それにくらべて、と苑上は阿高を見た。少し無愛想だがそこに隠されているやさしさがたまらなく愛しい。
「蝦夷の血を引く貴方。海を渡り戻ってきた女神の血を引く貴方。 私たちを暗いところから救い出してきてくれた貴方。一般の人には闇といわれる部類である貴方が 私たちを救ってくれたのです。一条の光を差し入れ、それを広げていった・・・・。 貴方が光以外の何者でもないと、私は知っています。それ以外、貴方が何者であるか、知りたくは無いぐらい・・・。」
「すず・・・?」
そこまで考えていたとは知らなかった阿高は話の重さに飲まれてしまったようだ。何も言葉が出ずに呆然としている。
「貴方は光。いつまでたっても変わることの無い救いを差し入れてくれる光。私たちの神、そのもの。」
阿高の手を握り苑上は続ける。
「私は闇。貴方の救いが無くては生き延びられない愚かな者。」
「生き延びられないなら俺が生き延びさせてやる。」
苑上の手を握り返してようやく阿高が応えた。阿高はこのとき帝にまみえた時と同じように 正確な答えを引き当てたような気がした。
「俺が光で、鈴が闇で、明暗がはっきりしているならそれを利用するまでだ。 俺がいつまでも鈴を助けてやる。おまえたちにとっての神ならば、できるだろう?」
握り返してもらったその手に額を当てて苑上は搾り出すように言った。
「ほら・・・・もう救ってくれてるでしょう・・・。」
白黒はっきり分かれすぎているのをこんなに自覚しているのは苑上だけなのだろうか?阿高の発言に敏感になって、 阿高の発言で舞い上がってしまうのは、自分だけなんだろうか? この明暗を阿高は取り除いてくれようとしている。分け隔てなくすべてを愛そうとする、神のように。
「ありがとう、阿高。」
「・・・・・うん。」
微笑み会った二人の間には、光と闇の違いは無かった。








+剣(つるぎ)+

貴方と私を繋ぐのは、たった一本の剣だけだった。
火の神に呪われた剣。

私は呪いを鎮める巫女。
貴方は呪いを御す御子。

私は剣の鞘。
貴方は剣自身。

そんな関係、それだけの関係。
でも、今は違う。
貴方はもう私を必要としない、自由な剣。振るわれる剣。
それでも、貴方は私を選んだ。

剣ではない、私を。

「それが嬉しかった。」
稚羽矢の腰からさがった大蛇の剣をみて吐き出すように狭也が言った。 稚羽矢は静かに聴いている。
「貴方と、剣以外でのつながりが欲しかったから。それが叶えられて良かった。」
「これからも、それは続く。私は、狭也を二度と見失うつもりは無いから。」
だから。
「剣は、いらないんだ。剣を通しての関係はいらない。狭也と、何も介さない関係が欲しい。」
その言葉に、狭也は涙を流した。それをみて、稚羽矢は狭也に口付けた。

私は、狭也。
貴方は、稚羽矢。

私たちの関係は、互いを必要とする者。
もう、剣でつながれる事は無い。



+旅+

「わたくし、旅は初めてなんです!」
そう言って笑った苑上(すず)の顔が嬉しくて、つられて俺も笑った。

「これでいいの?」
すっかり内親王の衣装を脱ぎ捨て、苑上は村娘の衣装を着ていた。 髪も切って(とはいってもそこらの村娘より長い)何処から見ても怪しまれないだろう。
「へんじゃないかしら?わたくし、馴染めてないような気がするのだけれど。」
確かに雰囲気が民草とはちがうなぁ、と藤太と広梨はうんうん頷いた。
「お姫様だもんなぁ、仕方ないよ。まだなれないのは。」
「というより、慣れちゃいけないんだよ、藤太。お姫様盗んでるんだからさ〜。」
笑い話のように藤太と広梨が言う。
「藤太、広梨。口が過ぎると痛い目を見るぞ。」
苑上に見られないように彼女の背後から阿高は藤太と広梨を睨んだ。
「だぁいじょうぶだって、阿高!」
「そうだぞ、阿高!叔父の門出の祝いを無下にするかぁ?」
何処が門出やら。頭をおさえてから、阿高は苑上の肩を抱いて馬の影に引き寄せた。
「いいか、鈴。」
「なに、阿高?」
「何があっても、俺のそばから離れるな。」
「そんなの、わたくしの願っていることですから絶対に離れません。」
ぴしゃりと言い放つ苑上に、そうじゃなくて、と阿高は言った。
「藤太と広梨に何を言われても構うなよ!!」
「え?何故??」
「何故って・・・・とにかくだめだからな。絶対、あの二人の言うことを聞いちゃいけない。わかったか?」
半ば押し切られたように苑上は頷いた。

「楽しい旅になりそうだね。」
「もちろんだよ、俺の甥っ子だからな!」

そんな二人のやり取りを、後から覗き見していた藤太と広梨は これからの旅の楽しみに思いを馳せていた。

→変身


+変身+

「おやまぁ、かわいらし娘さんだね。お行儀も良くて・・・・。どこかのお嬢様かい?」
店のおばさんはそう言っていた。
「その・・・わたくしは、不自然ですか?」
「不自然というか・・・なにかそこらにいる者とは違うものを感じるんだよ。」
接客業を長年してるとそういうことを良く感じるんだよ、とおばさんは笑った。

「わたくし、なじめてないのですね。」
ため気をつきながら苑上は言った。折角出奔したのに、周りに馴染めないのがとても悔しい。 確かに今まで培ってきたものを簡単に捨てるのは無理だ。
「今すぐなんて無理さ。少しずつ慣れていくさ。」
そう言って阿高は苑上の頭をなでた。苑上は柔らかく微笑んだ。


「と〜お〜た〜ぁ〜!!!!」
ばしんっ、と勢い良く宿の一室の扉が開いた。 鬼の形相で飛び込んできた阿高を出迎えたのは広梨ひとりだ。
「広梨!!藤太はどこだっ!」
「? 買出しに行くって出て行った・・・・・。」
広梨は答えながら何気なく阿高の後ろを見ると。
「す、すずっ!!?」
「広梨。」
そこにいたのは苑上。しかし、その格好は・・・。
「へ、変?そんなに変?!」
慌てて苑上が言う。
「いやぁ・・・変ぢゃなくて・・・。」
むしろお似合いです、遊女姿。
「藤太の野郎、鈴にこんな者着せやがって・・・!」
そういうと阿高は身を翻して藤太を探しに町へ出て行った。 呆然とそれを見つめる苑上と、その苑上を見つめる広梨。
「(以外・・・迂闊だし。)」
藤太は気付いていただろう。なにせ直感で苑上が女であることを当てたぐらいだ。 旅をし始めた時点で気付いていたのだろう。
「しかし、阿高もこれでは大変だなぁ・・・このままでいくと。」
「?どういう意味なの?」
「・・・阿高に聞くといいぜ、鈴。」
だが阿高はけっして言わないだろう。自分のためにも、周りの為にも。 帰ってきたらきっと着替えさせるんだろうなぁ・・・。結構目の保養になるのに。

衣のあわせから見える、胸。

←12.旅  →73.お邪魔虫





+学校+

私たちがここに集まったのは、ただの偶然だ。
この小さな世界の中で、この小さな世界を動かすために基盤を作り上げる。
私たちはそういう集団だ。
「おひいさんって何者?」
「ただの人間よ、あんたのとなりでコーヒー飲んでるね。」
ひろみはつんとしたたいどで夏朗に接した。彼の言い方ではまるで人間ではないかのように言われた気がしたからだ。 実際彼はそこまで深くは考えてはいないだろうけど。
「・・・おひいさん、へんな人って言われない?」
「今まさにあんたに言われたわ!」
額に青筋が浮いたのがひろみには良くわかった。
「あんたは何も考えていないんでしょうね?」
「・・・俺だって考えてるっての!」
ふくれっ面をして夏朗は言い返した。
「俺にとって学校は・・・。」
「学校は?」
「・・・ハコニワ、かな?」
「・・・あんたのほうこそ何者よ・・・。」
呆れてしまうけど当てはまってしまう答えを引き抜いた夏朗に、ひろみは苦笑を送った。







+笑顔+

「人を笑顔にする方法はありますか?」
「・・・・・・・・は?」
「・・・・・・・・え?」
藤太と千種は固まった。
「す、鈴さん・・・?何を仰っておられるので?」
「だから、人を笑顔にする方法を教えてほしいのです。」
「・・・・阿高だな?」
こくり、と頷く苑上の気持ちがよくわかる藤太はうんうんと頷いた。
「確かにあいつはとんでもない奴だ。まったく笑わんからな。」
「ええ・・・・。藤太はどうやったら阿高が笑うか知っているのではないかと思って・・・・。」
「だがな、鈴。」
藤太は苑上の肩を叩いて言った。
「自分で考えて欲しい。それが阿高にとって一番だから。」
「一番・・・・なの?」
うん、と藤太は頷いた。それでも苑上は少し不安そうな顔をする。
「がんばれ、鈴。阿高の嫁だろう?」
「う、・・・うん。」
幾分かうかない顔をしながら鈴は去っていった。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・藤太。」
「・・・・・・・・・はい。」
「・・・・・・・鈴は厄介払いされたとは気付いてないみたいね。」
「・・・・・・・・はい・・・・。」
その後千種が出て行った後、藤太は血まみれだったとか・・・。
「わ、笑えない・・・・。」






+運命+


「阿高・・・。」
草むらを掻き分ける様に阿高は進んだ。ただがむしゃらに。
「おい、阿高っ!!そんなに急いでどうしたんだよっ!!」
藤太と広梨が阿高の背中を見失わないように追いかけた。
「行かなくちゃいけないんだ・・・。」
「何処へ?」
見晴らしのいい丘の上に出て阿高はやっと立ち止まった。 其処から見える碁盤のように規則正しく路が並んでいる場所、都を見下ろした。
「あそこ。」
「あそこって・・・・。」
広梨は阿高が指差す場所を見た。どう見ても、見なくても、内裏。
「ま、まさか、お前、鈴をさらいに行くのかっ!?」
吃驚して言う藤太に阿高は無言で頷いた。広梨も目を丸くする。
「それって犯罪じゃ・・・・。」
そこで藤太は気付いた。
「竹芝の掟・・・使うつもりだな。」
ほんのちょっぴり頬を染めて阿高は頷いた。
「ふぅぅん・・・・。んじゃ、協力してやろうじゃねぇのっ!!」
頼もしく阿高の叔父は言い放った。
「ちょ・・・本気かよ藤太!!」
俺は本気、と藤太は頷いた。
「阿高の為だ、俺はやるっ!千種の為だから。」
さすがの広梨もこれ以上は何もいえなかった。ただため息をつくだけだ。
「わかったよ。俺も協力する。」
「ありがとう。」
阿高は短い礼を述べた。
「気にすんなって。仲間だろう?」
「そーそー。もう腹もくくったし。」
藤太と広梨はにかっと笑った。それにつられてめったに笑わない阿高も笑った。
「んじゃ、行きますか。苑上内親王拉致作戦!」
「うっわぁ・・・・危ない響きだなぁ〜。」
そうして二連と一人と一匹は都へと一気に駆け下りた。

次へ






+願い+

どんっ、と何かが私の中を突き抜けた。

象子は館から走り出て北の空を見た。象子の突如の行動に驚いた侍女たちが次々と象子の後を追って館から出てくる。
「象子姫、いかがなされましたか?」
「わからない、わからないの。」
象子にもわからなかった。何かを感じたことは確かだが、それが何かはわからない。
「ただ、何かが今失われたわ。大きな力が・・・。」
ただ、何かが失われたことは確かだ。それだけを口にする。
「力・・・・。」
あの勾玉だろうか?それとも揮われている剣の力だろうか?いや、どちらでも今はいい。
「・・・・・・。」
ふと、菅流を思い出す。会いにきてくれたときの菅流は、神の力をすでに得ていた。 もし、失われたものがその力だとすればそれが指し示すのは・・・。
「いいえ、ちがうわ。あの人は死んでない。」
象子は手を握り締めて天に思いを馳せた。
「どうか、彼を無事に帰してください。」

そんな願いが通じたのだろうか?

優しい声で呼ばれた。
優しい手で触れられた。
優しい色が視界を奪った。

季節は夏。何かを失ったと感じた冬から半年。
「・・・象子。」
優しい声が象子の耳を打った。ゆっくりと、声を発した主を振り返ってみる。 そして象子は、これほど神に感謝したことはないと思った。里が焼け落ちたときは神を怨んだ。 だが、今は神に感謝している。
「きさこ。」
もう一度呼ばれた。その声に涙があふれた。体に力が入らなくなってその場に座り込む。
「神様・・・。」
崩れ落ちたその体を、ぬくもりが包んだ。
「神様、ありがとうございます・・・・。」

願いを聞き届けてくれて。

「象子・・・?」
彼は象子の顔を覗き込んだ。象子は彼に顔を見せて微笑んだ。
「おかえりなさい、菅流。」

願いは、ききとどけられた。

←28.雪





+風+


「狭也。」
「稚羽矢!まぁ、どうしたの?その格好っ!」
狭也は目を丸くして稚羽矢を見た。
「狭也、外に行こう。」
「稚羽矢っ!私の話を聞いているの?」
そう言いながら狭也は稚羽矢の着ている衣をはたいた。彼の身なりはひどいものだった。 何処に引っ掛けたのかあちこち裂けて、いろいろなところに土埃がついている。
「まったく・・・貴方には驚かされっぱなしね。」
「鳥彦が教えてくれた。上を行くより中を突っ切ったほうがやはり早かった。障害物もなかったし。」
「障害物?」
はっとしたように稚羽矢が口をつぐんだので狭也はぴんときた。
「・・・逃げてきたのね。」
「私は狭也に会いたかっただけなのだ。なのに・・・科戸王が許してはくれない。」
稚羽矢が急にしぼんだ花のように沈んだ声で言った。
「何のために、狭也と祝言を挙げたのかこれでは意味がわからない。狭也と共にいる為に挙げたはずなのに・・・。」
その言葉に狭也は真っ赤になってうつむいた。なんだかばつが悪くてそのことから逃れるように彼女はつぶやいた。
「だからって・・・逃げ出すのはいけないことよ。」
「逃げてなどいない。狭也の元にきただけだから。」
にこりと微笑む稚羽矢は本当に卑怯だと狭也は思った。
「で、何処に連れて行ってくれるの?」
「行っていいの?」
「貴方が誘ったのでしょう?」
またもにこりと笑って稚羽矢は狭也の手をとった。
「裏の山に行こうと思う。鳥彦が眺めがよいと教えてくれた。」
「じゃぁ、いきましょう。」
そういうと稚羽矢は狭也の手をとり、庭に下りようとする。
「に、庭から行くの?」
「上は目立つ。下から行くほうがよい。」
「そう・・・ね。」
狭也の経験上、宮は奥まっているほどかえって目立たなくなるものだ。
「行きましょう、稚羽矢。」
「行こう、狭也。」
2人は同時に庭に降り立って茂みへと消えていった。
「稚羽矢は風そのものね。言葉一つで・・・私をやさしく包んでくれる・・・。」
「?」
茂みの中でぼやりとつぶやいた狭也の声は稚羽矢には届かなかった。

→61,2つで1つ





+雨+


苑上は空を見上げた。しとしとと雨が降っている。
「こまったわ・・・美郷姉さんの手伝いが・・・。」
苑上は何度目かのため息をついた。その体は大きな木の幹にもたれかかっている。
「どうしよう。」
そしてまた小さくため息をついた。雨はやむ気配がなく勢いを増していく。

「鈴がもどらないって?」
布で体を拭きながら藤太は言った。つい先ほどまで藤太は父親の言いつけで出かけていたのだ。 急に降ってきた雨に濡れ濡れ帰ってきて今に至る。
「ああ。」
「・・・・心配なら見に行ってみたら?鈴、泣いてるかも。路に迷っちゃったりして。」
藤太のぬれた着物を腕にかけて新しい衣をちゃんと着せながら千種が言った。
「阿高なら、言わなくても行くでしょうけど。」
そう言ってから振り返った千種の視界にはもう阿高はいなかった。
「早かったな。」
「早かったわね。」
顔を見合わせて新婚は笑いあった。

苑上は空をまた見上げた。先ほどよりは雨はましになったが、それでもこの天気の中歩く自信はなかった。
傍らに置いたかごの中の野菜はぬれてみずみずしいが苑上はそうはいかなかった。ぬれた衣は身に寒く、いやなことばかり思い浮かぶ。
「・・・いつだっけ。」
とても大切にしていた母親の帯飾りが風に乗って飛んでいってしまい、池に落ちた。それをとろうとして自分も池に落ちたことがる。 当然皇女が泳げるはずもなく、溺れて大変だったことがある。
「あの時はこわかったわ。」
くすくすと思い出を力なく笑う。そしてふと思う。
「兄上のお加減が悪くなったときみたい・・・。」
あのとき、苑上の回りから急速に人がいなくなった。残ったのは乳母ぐらいだったようなきがする。 内裏、人の思いが行きかい、権力がうずまき、国の中心となるところ。苑上はいつまでも其処になじめなかった。 今思えば辟易していたのかもしれない。自分には関係がなかった。何故なら女だから。 皇の女は扱いが難しい。身分が高い、だが男が兄や弟がいれば用はなくなる。必要とされていない場所で、生まれ、育ったのだ。 その状況が今だった。雨の中ぽつりと一人いる状況。雨は苑上を外から隔てた内裏、ひとりは独り。 忘れようと思って、忘れさせてくれると思って、阿高についてきた自分が内心にはいた。だが忘れてもいないし忘れさせてももらっていない。 いまでも状況は変わっていなかった。
「わたくしは、いつまでたっても一人ぼっちなのね。」
野菜についた露を払いながら悲しげに鈴は言った。指先についたその露を見つめていると遠くから水のはねる音が聞こえた。
「・・・あたか・・・。」
雨はしとしとと降り続ける。だがもう鈴は独りではなかった。もう鈴は、"苑上"ではなく"鈴"なのだから。 今の苑上には、阿高がいる。

水がはねる音はだんだんと近づいてきた。それとともに雨とは違い、温かな水が苑上の瞳に浮かんだ。

雨が降っても、もう苑上は独りじゃない。

次へ






+雪+

「あら、冷えると思ったら。」
そう、豊青姫に使える女の呟きを聞いて象子は空を見上げた。 はらはらと雪が舞っている。 ようやく春が近くなってきて、暖かくなったと思ったのに・・・。
「象子様、中へお入りくださいませ。」
「え、ええ・・・。」
舞い落ちてくる雪を見ながら象子はそれに背を向けた。

雪は冬の証。
冬の次には春が来る。
春には貴方に会える。
そんな気がする。

なぞめいた予感を胸中に、象子は雪から遠ざかった。

←78.約束   →21.願い


+花+

「巫女さまぁ〜。」
「あら、いらっしゃい。」
声のするほうを振り返って象子は微笑んだ。 そこには近くに住む子どもたちがいる。
「今日はどうしたの?」
「はいっ!」
三人の子どもたちは象子の前に花束を突き出した。
「今日ね、母さんたちと一緒に出かけたところでつんできたんだ!」
「まあ、きれいな花ね。」
「こっちの橙色のが豊青姫様に。この桃色のは巫女様のお花だよ。」
得意そうにいう子どもに、膝を折って目線を合わせて象子は礼を言った。
「ありがとう。大切に飾らせていただきます。」
「どういたしまして!」
嬉しそうに笑って子どもたちはどこかへとかけていった。
「綺麗な花・・・。」
花に顔を埋める。甘い香りが肺いっぱいに広がるのを象子は感じていた。
「こんな綺麗な花が咲くなんて・・・嘘みたい。」
焼け落ちた建物、黒焦げになって地面から突き出した梁、煤で黒く汚れた人々の顔・・・。 その場が今、再生しようとしている。
「・・・遠子。」
遠い地にいる従姉妹に象子は思いを馳せた。昔はいがみ合ってお互い背中ばかり向けていた。今となっては懐かしい。 もうずいぶん、彼女とは逢っていない。
「遠子。ここは大丈夫よ。だから、貴女は貴女のことを心配して。」
倒れても先を目指そうと必死だった彼女。今でもそうだろうか?象子は首を横に振った。

いま、彼女のそばには、菅流が、いる。
だから、大丈夫だろう。

何故かそんな確信が彼女にはあった。強がっている彼女を彼は支えてくれると。自分の代わりに・・・。 遠子という花を支えるがくの様に。
「・・・・・・。」
桃色の花を一本抜いて、象子は髪に挿した。
「・・・さて、仕事しなくちゃ。」
残りの花束を抱えて、象子は建物の中へと戻った。その動作で揺れる髪の上で桃色の花が踊る。 まるで、象子を見守るように。

←69.声   →78.約束




+星+

「鈴、眠れないのか?」
「阿高。」
夜中、ふと目が覚めた阿高の視界に入ったのは天を見上げる苑上の姿。
「眠れないんです、星がきれいで。」
「ああ、星か。」
むくりと起き上がり、阿高は苑上の隣に腰を落ち着けた。
「内裏を出て、星がこんなにあるものなんだとはじめて知りました。」
「確かにあそこの庭は狭いし、松明があったから明るすぎて星が見えにくかったな。」
思い出してぽつりと阿高は言った。
「見て、阿高。天の川が見えるわ。」
星明りに照らされる苑上の横顔を見ていた阿高は、苑上の声に従って夜空を見上げた。 そこにあるのは星が集まってできた川。
「・・・・今日は、晴れてるから。」
「?」
「直接会えなくても、川越しに出会えるかしら?」
「?何の話だ?」
阿高が首をかしげるのを見て苑上は気づいた。阿高のように普通に暮らしていた人々に、この話は伝わっていないのだろうということに。 苑上は静かに首を振った。
「いいえ。天の川のような川に隔てられた男女の話です。忘れてください。」
「?」
相変わらず阿高は首をかしげたままだ。苑上はそんな阿高から目をそらしてわからないようにくすりと笑った。 すると突然背中にぬくもりを感じたかと思うと、苑上は阿高の腕の中にいた。
「鈴が言いたいことはわからない。」
「・・・・はい。」
「けど、俺と鈴の間には川がないからこうやって触れ合える。違うか?」
「ううん、違わないです。」
阿高の顔を見上げて、安心したように苑上は笑みを浮かべた。


「(とーうーたーさーぁーんっ!!)」
「(なんですか、広梨君。)」
「(邪魔せんでええんですかい?)」
「(いいんだよ、夜は。)」
「(夜は?)」
「(夜は。)」
そんな二人に背を向けながら、叔父と友人は、甥であり友人である阿高を密かに暖かく、同じ星の光に照らされながら見守っていた。

←09.その後  →44.再会





+光+

焚き火のはぜる音が遠くに消えた。苑上は目を開けた。開けたつもりだ、いや、開いているのだ。

そこにいるのは闇。

「まだ・・・消えていなかったのね。」
体を起こすと解き放った髪が肩から零れ落ちた。ふわりと薄絹の上着が風になびく。 闇は、そこに存在していた。
「いつか、来ると思っていました。」
苑上は闇に手を伸ばした。闇は動きもせず、ただそこに漂っている。
「でも・・・わたくしには、わかっているの。」
闇に微笑んで苑上は言った。
「あなたは必要ないのです。」
闇が少し縮まった。苑上は続けた。
「わたくしは皇を捨てました。わたくしは皇よりも光を選んだから・・・。」
そっと苑上が手を伸ばすと闇はさらに小さくなった。
「もう、賀美野や兄上を憎む気持ちも何も、いらないのです。だから、わたくしには闇はもう、必要ないのです。 だから、消えて。闇はもういらないから・・・。」
苑上が闇に触れると闇は光の粉を放って消えた。一瞬それに目がくらんで眼を閉じた苑上が自分の腕を伸ばした先を見ると 自分の腕に沿うように、自分が触れた闇に同じように触れたように、伸ばされた腕を見た。
「・・・起きていたのですか、阿高。」
「あんなものが現れて寝ていられない。」
「・・・・・。」
苑上は振り返って阿高を見た。阿高は不思議そうな顔をした。苑上は阿高の周りにまだ光輪があるように見えた。
「・・・・あなたはほんとうに・・・。」
「?」
「・・・・いいえ、なんでもありません。」
首を振って苑上は先を言うのをやめた。言わなくても十分わかっているのだから。自分を助けてくれる、救いの人であることぐらい。
「・・・以外の何者でもないのですね。」
「?」
阿高が首をかしげるしぐさが子どものようでかわいく思えて苑上は笑った。
「阿高が好きだということです。」
さっぱりとした言い方に阿高はますます首をかしげた。
「本当に、光以外の何者でもないのですね。」







+幸せ+


例え相容れぬ生まれでも、別れることなんてできないの。
一緒にいることが・・・。

「ギディオン、ごめんなさい。」
エディリーンは俯いて言った。
「何が?」
ギディオンは今まで眺めていた誇りのかかった本棚から目を離して彼女を見た。
「私のせいで・・・こんなところに閉じ込められるようになってしまったのよ・・・。誤らずにいられません・・・。」
目を伏せるエディリーンの前にひざをついてギディオンは言った。
「閉じ込められても、君と離れなかったことが私にとっては幸せだよ。」
「・・・ギディオン。」
エディリーンは涙を流した。


「私はルーンと一緒にいるけれど。」
「うん?」
天文台のさびた計器をいじりながらルーンは応えた。
「博士とエディリーンはこうして一緒にいれたのかしら?」
「どうして?」
「だって、閉じ込められた状況の中よ?なんか・・・い辛くなぁい?」
「つらくなかったんじゃない?」
フィリエルのほうを振り返りもせずにルーンは言った。
「どうして?」
「だって。」
やっと振り返ってルーンは彼女の頬に手を伸ばした。
「君が生まれただろう?」
「・・・・そうね。」
「幸せだったんだろうね。」
「そうね。」
きっとそうだとフィリエルは信じた。







+夏+

3年生になった。もう受験だ。受験シーズンだ。 入学したと同時に進路志望書などを書いていたがここにきて やはり目の当たりにする。夏の前になると夏期講習の説明がある。
「・・・・いやだなぁ・・・。」
「上田さん、お疲れ?」
「いいよね、鳴海君は。生徒会長のジンクスにとらわれずに成績上がってるもん。」
「そういう上田さん、最近数学の成績あがってるんだろう?いいじゃないか。」
「よくないの!」
ひろみはドンと机を叩いた。ちょっとびっくりしたようで、鳴海の目が軽く開いている。
「どうしたの?」
「いやなのよ、この"定番の受験生"が。」
「定番?」
「夏の夏期講習。」
「ああ・・・。」
くすりと鳴海は笑った。
「上田さんは人と同じことをするのが嫌なんだね。」
「・・・・流されて生きているようで、すこし嫌なの。影響を受けたみたい。」
だれとは言わないが、わかっている。
「・・・しかたないよ。ただ、今は我慢するしかない。」
「・・・わかってる。」
「型にはめられた中で、俺たちは別々の形になる為に溢れようとしてるんだから。」
「・・・鳴海君、私の解らないことは言わないでね。」
「解ってるだろ?」
「人は自由だってことぐらい・・・・だけど。」
はぁ、とひろみは息を吐いた。
「なんか、話すだけでも違うね。軽くなった。」
「・・・彼女も、そうだった?」
「・・・・・・・・・。」
少し間をあけて、ひろみは言った。

「・・・・うん。」

そう、と彼の表情は言った。
その後会話は途絶えたが、そこは居心地のいい空間だった。

夏、最後の夏だった。






+市場+

「こうやって買い物するんだ。」
そう言って広梨は苑上の帯と大量の食料を交換した。
「物と交換するの?わたくしの、そんな帯で?」
「そんな帯、っていうけどな。民草からすれば何年分もの食料を買えるんだぞ? これじゃぁ少ないぐらいだ。本当は換金したほうが良いんだけどな。」
「カンキン?」
「物を金に買えるところのことだ。でもな、この帯売ったら莫大な金が手に入る。 それと引き換えに旅が危なくなる。なんでかわかるか?」
「・・・・もしかして襲われやすくなるの?」
「そう。」
「・・・旅って大変だったのね。わたくし、何も知らなかった。」
うつむいて苑上は言った。
「でも、何も知らなかったことを学ぼうとしている鈴の姿勢は誉められるべきものだぞ。」
優しく広梨は苑上の頭をなでた。

「わたくし、何にも知らなかったのね。」
苑上がポツリと漏らした言葉を耳にした阿高が苑上の隣に腰を下ろした。 苑上自身は宿屋の窓から見える町並みを見ている。
「どうしたんだ・・・・鈴。」
「広梨に人はどういう暮らしをしているのか教わったの。わたくしが幼いころに想像してたものとはまったく違った。」
どこにでも侍女や女房がいてその人たちが食事を出してくれると思っていた日々。 そんなものどこにもありはしなかった。それどころか出奔して初めて、自分のことは自分でしたのだ。
「わたくしは、甘すぎました。」
阿高は何もいえなかった。
「内親王という至高の位置にいたから・・・・そこに生まれたというだけで何もしなくて良い位置にいたから・・・。」
「だけど、鈴は気がついたんだろう?」
「気づきました。」
「なら、いいんじゃないのか?」
阿高はゆっくりと言った。
「もう鈴は内親王じゃない、ただの鈴だ。内親王が知らなかったことを、いまの鈴が知ればいい。 いまからでも、遅くないだろう。」
その言葉の一つ一つをかみ締めるように苑上は目を閉じた。
「貴方に逢えて、本当によかった・・・・。」
本当にかすかに、苑上はその言葉を落とした。
「阿高のいうとおりね。わたくしは、まだまだこれから学ばなければいけない者なのですから・・・。」
「そうだな。」
阿高は薄く微笑んだ。
「そういえば、広梨に何を教えてもらったんだ?」
「換金とはなにか、です。」
「換金、か。だがな、鈴。物だけが金になるんじゃない。」
「物以外でもお金になるものがあるの?」
「ああ・・・・。教えてあげるよ。市場に行って。」
「・・・ええ!」
立ち上がる阿高の後に続いて、苑上は窓辺から離れた。

←40.おしゃれ  →80.若き日の




+おしゃれ+

「・・・。」
水に映った自分の襟のすそから覗いた首飾りを見て、苑上はきゅっと自分の体を抱きしめた。

「よぉ、兄ちゃんたち。寄っていかないか?」
「「「・・・・・。」」」
露天売りの小姓が武蔵三人衆に声をかけた。そして気がついた。
「おや、お嬢さん。綺麗な顔をしてるね。」
「え?わたくし?」
きょとんと首をかしげる苑上。
「そーそー、お嬢ちゃんだ。」
「・・・はぁ・・・・・・?」
苑上はこういう対応に慣れておらず、あいまいな返事を返すだけだ。
「お嬢ちゃん、こういうのはどうだい?」
そう言って男が差し出したのは瑪瑙の玉飾り。 武蔵3人衆はそれを覗き込んだ。
「結構な品だな。」
藤太が言う。藤太はこういうものの目利きができる。
「どうだい?買うかい、あんた?」
にやりと露天売りは笑った。
「いいえ、買いません。」
藤太の横で見つめていた苑上はきっぱりといった。
「この瑪瑙、外見はよろしいですが中に縞が入っていますね。 品質はあまりよくありません。それにここに傷が入っています。 磨きが足りないのか、はたまた気付かずにそのままなのかは知りませんが、 そんなよくない品質のものをこの値段で売りつけるのは妥当とは思えません。 もう1つ言ってよろしいなら、こんな置き方をしたら折角の逸品も台無しになってしまいますよ。 それぐらい、売る者として心得ていてはいかがでしょう?」
そこまで言い切った苑上に、露天売りも3人衆もびっくり。
「忘れてた・・・。」
「鈴・・・。」
「筋金入りのお姫様だったよね、鈴は。」
にこりと笑いながら軽く苑上は言った。
「着飾るならば、それなりのものがよろしいので。」
意外な苑上の一面だ。

←73.お邪魔虫  →39.市場





+わがまま+


「ルーン、ちょっとははっきり言ったらどうなの?」
アデイルはむすっとした顔でルーンを見た。 そんな言葉を投げつけられてはルーンもさすがに黙っていなかった。 ルーンはルーンでさらにむすっとした顔でアデイルを見て、投げやりな口調で言った。
「なにをさ?」
「フィリエルのことです。」
アデイルはぷんぷんした口調でいいはじめた。
「いくらフィリエルがルーンを選んだからって、ほうっておきすぎではないですか?」
さらにアデイルは仕上げの一言を付け加えた。
「私なら、もうそんな男とっくの昔に見限って、さっさとユーシスお兄様のような人とくっつきますけどね。」

「ルーン。資料を探してたんじゃなかったの?」
フィリエルは自室で本を広げていた。
「・・・。」
無言でルーンはフィリエルの目の前に腰を下ろした。
「?」
わけがわからず、フィリエルは首を傾げたが、すぐに興味をなくして本に眼を戻した。
「・・・・。」
ルーンはわかっていた。アデイルはただ、ルーンを焚き付けたかっただけなのだと。 ぺらりと静かに本のページをめくる音が部屋に響く。
「今日のルーンは変ね。」
本に視線を向けたままぽつりとフィリエルが言った。
「まるでわがまま言ってるだだっこみたい。」
「・・・・。」
たしかに、わがままを言っているように、ルーンは思ってしまった。

フィリエルを、誰にも渡したくない、というわがままを。






+再会+

何の変哲もない日常のはずだった。

あの人たちに再び会うまでは。

「今日もいい天気よね〜。」
「ほんと、竹芝はいつもいい天気よね〜・・・。」
そうやって女たちは空を見上げた。雲がポツリポツリとはあるが雨が降るようなものではなく、 ほんとうにただあるだけの雲。空に飾りをつけている程度だから彼女たちには何の支障もきたさない。
「藤太、帰ってこないわね。」
「阿高探しにこんなにもかかるものなの?その前にどこ行ったのよ阿高・・・。」
女が沈んだ声で語尾を終えた。一同はその後一泊置いてため息をつく。 彼女たちの一番の話題はいつも二連だったのに、その二連は長い間、もうこの竹芝に、武蔵にいない。
「私、聞いたんだけど。都人と一緒に都に行ったって。」
「だからって・・・・帰ってくるのが遅いわ。」
「これも聞いた話だけど、都、なんだかたちの悪いものが出て逃げる人が多いんだって〜。」
「・・・・・大丈夫かしら。二連だけじゃなくて茂里も広梨も一緒なんでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
女たちの間に気まずい雰囲気が流れた。だがやがて誰かがそれを破った。
「大丈夫よ、武蔵の若者だもの・・・。」
「そうよね・・・そうよね・・・・。」
みんなで元気付けあっていたとき、馬の蹄の音がした。






「あ、阿高っ!!早いっ!」
「もう少しだから我慢しろよ〜、鈴〜!!」
「広梨っ!わたくし、怖いんですっ!!」
苑上の声は恐怖に引きつっていた。彼女は今阿多の腕に抱かれて全力疾走する馬に揺られている。 いままでここまで全力疾走する馬には一度(とはいってもアレは阿高だったし目を瞑っていたのであまり覚えてない)しか乗った(正確にはしがみ付いていた) ことがない苑上はぎゅっと阿高にしがみ付いてただただこの揺れがおさまるのを待っていた。

さてさて、武蔵に入り、竹芝が近づいたところで全力疾走し始めたので、苑上はそろそろ限界が近づいていた。
「あ、阿高・・・・目が回ってきたのですが・・・。」
だんだん血の気が失せた苑上が力を振り絞ってあげた声に阿高はそっとつぶやいた。
「もう、止まる。」
そう言うや否や、馬は歩調を緩めた。苑上はぐったりとした体に精一杯力をこめて阿高にしがみ付いていた腕を振りほどき、前方を見ようと体をずらした。 前方には馬に乗った藤太がいて、後方には馬に乗った広梨がいる。ずっと阿高の背にしがみ付いて後方を見ていたため、広梨の確認はずっとしていたが、 藤太の姿はまだ見てない。こわごわと体を動かしてやっと藤太を見る。

藤太と馬は、女の人に囲まれていた。

「・・・・。」
唖然と言うか、呆然と言うか。苑上の口は半開きになったまま音を発しなかった。
「鈴、具合はどうだ?」
頭上から降ってくる声でわれに返った苑上は、あわてて見上げた。そこには喜色を浮かべた阿高の顔があった。 苑上はその顔を見てほんの少し微笑んでから背を阿高の胸へと預けた。
「馬の全力疾走はしばらくはごめんです。」
「目、まだ回ってるのか?」
「いいえ、もう大丈夫で・・・。」
手綱を握り締めたままのの右手とは逆の、苑上の体を抱きしめている阿高の手に苑上は自分の手を重ねながら言おうとした。だが、手は重ねられても、 言葉は最後まで続かなかった。
「「「阿高っ!!!」」」
藤太を取り囲んでいた女たちが阿高の馬のあたりに移動し始めていた。藤太を見やれば、もう終わりかという残念そうで嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「おかえりなさい、阿高!」
「無事で何よりだわ!」
「かっこよくなったんじゃなぁい?」
などと口々に叫ぶ女たちに、またもや苑上は口が利けなくなった。
「で、ねぇ、阿高?」
女の一人が言った。
「藤太にも聞いたんだけど、ね?貴方に聞けって言うから。」
「・・・・・何だ?」
不機嫌そうに眉を寄せて一度藤太をにらんでから、阿高は女に視線を戻した。
「その女の子、誰?」
びくっと苑上は体を阿高の腕の中で跳ねさせた。





「馬が来るわね?」
「そうみたい、珍しいわねこんなじか・・・・・っ!!ちょ、ちょっと!!」
「何よ、騒がしいわねっ。」
突如声を荒げた女はある一点を指差していった。
「あれ、藤太と阿高じゃないっ!?」
「後に広梨もいるわっ!!!」
「あ、ほんとだ・・・・・ってぇえええっ!!!」
「今度は何よ?」
「茂里がいないわっ!!」
「・・・馬、3頭だけね・・・・。」
「そして・・・そして・・・・。」
「何?あんた、目が良いんだから早くみんなに情報伝えてよ!」
「阿高の・・・。」
「「「阿高の?」」」
「阿高の腕の中に女がいるわ。」
「「「「へぇ〜、女が。そー、おんな・・・・・。」」」」

「「「「「「おっ・・・女ぁぁああああ!!!?!?!?!??!」」」」」」」





「その子は、誰?」
すっかり固まってしまった苑上を一度見て、阿高はため息をついた。
「あんた、名前は?」
女の一人が尋ねてきたので苑上はやや困惑した表情を浮かべた。少し間をおいてから答える。
「・・・そ、苑上です。阿高たちは鈴って呼んでます。」
「ふ〜ん・・・苑上、ね。」
「わたし、どっかで聴いたことあるような気がするような・・・・・・?」
女の一人が首を傾げてそのまま黙った。
「で、阿高。その子はどうしてここにいるの?」
違う女がさらに尋ねた。
「俺が攫ってきたから。」
あっさりと阿高は答えた。女たちの表情は驚愕の表情で、誰一人声を発することができなかった。
「(・・・?どうしてそんなに固まるのかしら・・・?何かいけないことだったのかしら・・・??)」
疑問符が飛び交う苑上の肩を阿高は抱きなおした。
「鈴、行こう。親父様のところに行くんだ。」
「え?・・・ええ・・・でも、この方たちは?」
「ほっておく。」
そして阿高は馬を進め始めた。それを見て藤太も馬を進める。阿高の後でそれにならって馬を進め始めた広梨が女たちに言った。
「諦めた方がいいぞ〜。あいつ、殺されてもおかしくない大罪なのに鈴さらってきたんだから。」
「た、大罪っ!?!?」
「それがあいつの決意の大きさを意味するか、わかるだろ?もう阿高は決めちまって変える気はないんだってことぐらい。」
そう言って広梨はかっぱかっぱ蹄の音を鳴らして行ってしまった。
「あぁ・・・阿高まで。」
「藤太には千種がいるし・・・。」
「「「「「「「二連、いつのまにかのがしちゃったぁあああ〜っ!!」」」」」」」
女たちの大合唱が空に響いた。





「あの人たちは、本当にあのままにしてよかったの?」
「いいんだ。どうせ井戸端会議だろうから。」
「藤太、井戸端会議ってなぁに?」
「・・・・・そのうち鈴も加わるようになるから知らなくていいよ。」
「会議って・・・重要なものでしょう?」
「「・・・・。」」
苑上にとっての会議は国の行く末を決める会議だ。何か重要な取り違いが行われていることに藤太と広梨は気づいた。
「・・・・そのうちわかる。」
阿高がぽんぽんと苑上の肩をたたいて、この話は終了した。

← 30.星




+赤ん坊+


「やっぱり稚羽矢はすごいわね。」
狭也は額に手を当てながらつぶやいた。 そばにいた采女が首をかしげる。
「何がすごいのですか、姫様。」
「何って、あの無意識に人を引き付けるところよ。」
狭也はため息をついて、そこから見える草原に立つ稚羽矢を見た。
いつ見ても、彼の周りには人ばかりだ。輝の御子の素質は明らかに 稚羽矢の中にもある。知らずのうちに彼は人を引き付けるのだ。 そのことに彼自身まだ気づいていない。
「はぁ、本当に大丈夫かしら。」
狭也は心配でたまらなかった。自分は闇の一族の娘だ。 彼女の血が、稚羽矢の素質を穢してしまわないか、それが彼女の今一番の悩みだった。
またもや彼女の口からため息が漏れた。
「どうして狭也はさっきからため息ばかりついているの?」
「!」
気がつけば、狭也の前に稚羽矢が立っていた。先ほどまで草原に立っていたはずなのに。 今は狭也の目の前に立って、楽しそうに狭也を見つめている。
「・・・・あなたは、まったく。」
「?」
周りを引き付ける稚羽矢。それに気がつかない稚羽矢。なのに狭也のことには気づく稚羽矢。 どれもが稚羽矢で、それが稚羽矢なのだ。狭也を大切にしてくれる、稚羽矢。
今まで自分が考えてきたことが狭也は馬鹿らしくなってきた。稚羽矢は変わらない。 狭也と出会って、戒めを解かれて、死を選んだ。狭也と出会って変わったことはあっても、 稚羽矢の本質は変わらない。
「だから、私はあなたが大好きなのよね。」
「狭也、言っていることがわからない。」
「いいのよ、わからなくて。私とこの子がわかればいいのだから。ねぇ、・・・私たちの子。」
自分の腹に手を当てて、狭也は言った。それを見て、稚羽矢も狭也の手の上から腹に触れる。
「私には内緒なのか?」
「内緒というか・・・・どうでもいいことだから。」
すると稚羽矢は眉根を寄せて狭也に顔を近づけた。
「どうでもいいことでも、私は狭也のことは少しでも知りたい。」
あまりにも真剣に稚羽矢が言うものだから、狭也は笑いをこらえきれず吹き出してしまった。
「なら、稚羽矢。ずっとそばにいてね。私が女神の元に行くまで、ずっと。この子と一緒に。」
微笑みながら稚羽矢に言うと、彼は一瞬きょとんと目を瞬かせたが、すぐに笑顔になって狭也を抱きしめた。
「もちろんだ。離すものか。狭也も、生まれてくる赤子も。」
狭也も稚羽矢を抱きしめ返した。稚羽矢ごと、腹の中の赤子も。
どうか、稚羽矢もこの子もそして自分も幸せになれるようにと願いながら。








+女神+




その時は分からないけど、じわじわと頭の中に映像が浮かんでくる。

「(私、なんて大胆な・・・!)」

自分ではない自分の行動を思い出し、泉水子は一人赤面する。

「(・・・あんまり姫神をおろしたくないなぁ)」

そう思えども、それは泉水子の意思でどうすることもできないのだ、今のところは。


「・・・・・はぁ。」


しばらく、女神に振り回されることになることは明白だ。
ため息をつかずにいられない泉水子だった。







+男装+

「いくら外に出る為だからって男装しようと思う皇女はなかなかいないだろうな。」
「・・・藤太のそれはわたくしに対する侮辱にしか聞こえません・・・。」
不服だ、というのを頬を膨らませて苑上は訴えた。
「だって・・・普通は夜に抜け出す、とかそういうことを考えるだろう?」
「そう・・・なの?」
阿高まで藤太に賛同してしまい苑上は言い返せなくなった。
「そうそう。深層の姫君はそんなことおもいつかないもんだろう。」
「そう・・・な様な気がする。」
「そうそう。」
「・・・どうせわたくしはおとなしい姫ではありませんでしたから。」
むっとして苑上は立ち上がった。阿高があせりを見せる。
「す、鈴。」
「美郷姉さんの手伝いをしてきます。」
そうして背を向けてしまった鈴を見て阿高は藤太を睨んだ。
「お、おれのせいかよ・・・。」
あたりまえだ、と阿高は指を鳴らした。

「わたくしの行動はおかしかったのかしら。」
いくらか落ち込み気味に言った苑上の言葉にううん、と千種は否定の声を小さく上げた。
「大切なものを護りたかったのならそれは正しい行動じゃないかしら。だって・・・。」
千種はにこりと言った。

「阿高。」
「鈴・・・。」
突然苑上が戻ってきたので阿高はあせった。まだ苑上が怒っているのではないかという焦りが見える。
「阿高。」
「な、なに・・・・・。」
思わず引き腰の阿高を藤太も同じような心持で見守る。
「阿高はわたくしに逢えて後悔していませんか?」
「は?」
「はい、かいいえ、かで応えてください。」
「いいえ。」
即答した阿高に苑上はにっこりと微笑んで藤太を睨んだ。
「ほら。わたくしが男装した意味はあったでしょう?」
そう言って勝ち誇ったように去っていく苑上を藤太は驚いたように見つめた。
「お前の嫁、どうしたんだ・・・?」
「さ、さぁ・・・。」
阿高はやっと動悸がおさまったような顔をした。
「藤太もひどい人ね。」
二人の後ろから千種が現れた。
「どういう意味なんだ、千種?」
「自分で考えたら。」
こちらも勝ち誇ったような笑みを浮かべ苑上の後を追うように去ろうとして、立ち止まって振り返った。
「男装しなかったら、こんなふうにはなれなかったんじゃない?」
「「?」」
意外と鈍い2人をおいて千種は歩み去っていった。

苑上は軽い足音に振り返った。
「気付いてくれたかしら?」
「無理ね。」
あっさりと言い放った千種に苑上は落胆の色を見せた。
「あぁ・・・。悲しいですね。」
「うん。」
男装しなかったら、阿高にも藤太にも苑上は逢えなかった。それを、馬鹿にしている2人。 いつ真相に気付いてくれるのだろうか。
「・・・馬鹿は直しようが無いから気長に待ちましょうね。」
あまりフォローになっていないのだが素直に頷いて苑上は千種の肩にもたれた。

男の子になったわたくしと、逢えなくて良かったっていうの?




+食事+
〜その裏方にあるもの〜

包丁を、初めて持ちました。
「す、すーずーっっ!!」
藤太が血相を変えて駆け寄ってくるのをはボーっと見つめていた。
「藤太・・・どうしたの?」
「どうしたのって、おまえなぁっ!!」
鈴の手を掴んで藤太は言った。
「人と一緒でないと包丁を握るなと昨日阿高に言われたばかりだろう!」
「あら、そこにちびクロがいるから大丈夫だと思ったのに。」
どこがだ、と藤太は心の中で叫んだ。
「とにかく。阿高に見つかる前に・・・。」
「あら、大丈夫よ。藤太が一緒にいるもの。」
そういって苑上は微笑んだ。

苑上の包丁さばきはすごい。何がすごいかというと使い方だ。
叩き切る、なぎ払う。
一体何なんだ、それが包丁の使い方か、それじゃまるで剣だろう。
そんな風に、阿高も藤太も、もちろん美郷も。 深層のお姫様が包丁の使い方を知らないのは当たり前だから、だれも、咎める事ができなかったのだ。

「藤太、これから料理をしてみたいの。」
「り、りょう・・・・。」
「頑張るから教えてね。」
そう言って、藤太の目の前で甥の嫁は微笑んだ。もう、藤太には逃げ場は無かった。

果たして、苑上の食事は今日の食卓に並んだのか並ばなかったのか・・・。


+キス+

皇女にあるまじき行為とは?
「ずっと、考えてた。それは何かって。」
阿高の胸に顔をうずめて、苑上は囁いた。
「この部屋にいる限り、私は苑上内親王なのです。ですから・・・もう少しだけ・・・。」

内親王であるこの部屋の中で、内親王にあるまじき行為を、抱擁を。

そういうつもりで言った。だが阿高には届かなかったのか阿高は苑上を腕の中から離した。
「鈴・・・。」
そっと苑上の顔を見つめて、阿高は顔を近づけた。
そのまま重なる唇。
抵抗せずに、苑上はそれを受け入れた。
「どうして・・・?」
「抵抗しないのか聞きたいのですか?」
唇を話した後に囁くような会話を交わす。
「貴方は、私の望みをかなえてくれるのでしょう?後悔しないように。だからです。」
苑上はさとった。阿高はちゃんとわかってくれていると。
「わたくしに、あるまじき行為を、貴方はしてくれるのでしょう?」

抱擁を、口付けを。

「・・・そうだよ、後悔してもらっちゃ意味がないからな。」
そう言って阿高はもう一度口付けた。今度はしっかりとお互いを抱きしめながら。






+2つで1つ+


「いい眺めね。」
「鳥彦が勧めてくれるだけある。」
2人は草が多い茂る斜面に座っていた。 ここから新たな宮の様子が良く見える。何処に兵士がいて、どこに民家があり、 どこに人がいないか。
「・・・平和だ。」
「なんて言ったの?」
稚羽矢が何と言ったのか聞き取れなかった狭也は稚羽矢に尋ねた。
「こうして狭也といることができて幸せだ、と言ったのだ。」
「うそつき。そんなに長く言ってなかったわ。」
「わかる?」
「わかるわよ。」
「でも、本当なんだ。」
稚羽矢は狭也の肩に頭を乗せた。狭也はそれを受け止めて空を見上げる。
「ずっと、こうしたかったから・・・。狭也のにおいがなくて、寂しかったのだ。」
「同じところにすんでるのに、変な話よね。」
同じ館に住んで、同じものを食べているはずなのに、顔をあわせたのはもう10日以上前だった。
「部屋がもっと近かったら、もっと逢えるだろうか?」
狭也の髪を手ですきながら稚羽矢は言う。
「こんなことをしなければ狭也に会えないのは嫌だ。」
「まぁ、嬉しい。」
くすくすと狭也は笑う。稚羽矢は狭也の肩から頭を上げて、今度は狭也の体を自分に凭れかけさせた。
「稚羽矢?」
別段、驚いたふうも無く狭也は稚羽矢を見上げた。
「狭也がいなければ私は完全ではない。」
「そうね、私たちは2つあわせて1つになる貝のようなものね。」
稚羽矢はかすかに頷くと腕の中の狭也に口付けた。 狭也はなされるがままになっている。
「寂しいの?」
唇を離して狭也は言った。
「寂しい。」
稚羽矢は素直に応える。
「だから、そばにいて欲しい。」
「祝言を挙げたのはそのためなのに、まだ寂しいのはちょっと考えものよね。」
稚羽矢の胸に顔をうずめながら狭也は言った。 暖かい稚羽矢の鼓動が聞こえてきて心地いい。
「いっそのこと、逃げちゃいたいわね。」
「そうだな・・・。」
だが逃げるわけには行かない。これから2人はこの地を統べる者となるのだから。
「また、立ち向かっていかなければならない。」
「それなら、私はまた稚羽矢の隣にいるわ。」
「本当に?」
「本当よ。」
背中に腕を回して狭也は稚羽矢にしがみついた。
「こうやって、離れなければいいんだから。なにせ、私たちは2つで1つの貝殻なんだもの。」







+花嫁+


白い、祝いの為の衣をまといながら狭也は頭を抱えていた。
「何を悩んでいるのさ?」
「・・・・私が、悩むのはただひとつの事だって、鳥彦もわかってるでしょう?」
そう、狭也がこれから行うことについて皆を唖然とさせる発言をさせた人物のことだ。

"祝言とはなんだろう?"

「私、これから上手くやっていけるのかしら?王になるのに・・・・。」
げんなりした声で言う狭也に鳥彦は同情するしかない。この間、稚羽矢は 狭也に対して"恋人"という言葉を使ったが、これからはそれ以上の関係にならなければならないのだ。
「時がたてば稚羽矢も学習するだろう・・・?」
これ以上の関係のことをどうやって学ぶのかわからないが鳥彦は慰めとしていってみる。
「確かに、でも・・・・相手は稚羽矢だから・・・・。」
そういうと狭也はうつむいた。稚羽矢には苦労させられているのを知っている鳥彦であるから何とも言えない。
「・・・・。」
沈黙が二人を支配し始めたときに思い足音が聞こえてきた。
「狭也殿、いいかな?」
開都王だ。これ幸いと鳥彦は開都王の頭に飛び乗った。王が非難の声を上げようともそれを黙殺して鳥彦は喜んだ。
「狭也、狭也。」
「・・・なぁに・・・。」
落ち込んだそのままのふてくされた顔で狭也は鳥彦を見た。
「人生経験豊富なこの開都王が貴女のお悩みを解決してくれるでしょう!!」
そう言って鳥彦は逃げた。開都王は何がなんだかわからない顔をしている。まぁ、仕方がない。
「なんなのだ・・・・。」
「いえ、ちょっと・・・人生の悩みというか不安というか・・・・。」
そして軽く息をつく。そのときまたもや足音が近づいてきた。稚羽矢だ。
「狭也。」
にこにこしながら稚羽矢は狭也の元にしゃがみこんだ。
「もう時間だ。行こう。」
「わしもそれを言いに来たのだがな。」
そう言うとやれやれと開都王は去って行った。
「行こう。狭也。」
「・・・・うん。」
やや気落ちしたまま狭也は稚羽矢に手を引かれて立ち上がった。と、稚羽矢の動きが止まる。
「? どうしたの?」
「忘れていた。」
稚羽矢が懐に手を伸ばして何かを取り出す。そして狭也の首に腕を回した。
「ち、ちは・・・!」
「大丈夫。もう終わった。」
腕を解いて稚羽矢は狭也の胸元を見た。
「・・・勾玉?」
「うん。闇の女神の胸を飾ったといわれる勾玉らしい。開都王にあずかってくれと渡されていたが、私が持つより狭也に持っていてもらいたい。」
「・・・・ありがとう。」
稚羽矢はにこりと笑って狭也の耳元で囁いた。
「・・・綺麗だ。」
「!」
吃驚して狭也は稚羽矢の顔を見た。稚羽矢はそんな狭也の様子を見て微笑んだ。その微笑み方が月代王に似ていると狭也は思った。
「冗談は嫌よ?」
「冗談ではない。」
そういうと稚羽矢は狭也を抱き寄せて口付けた。狭也は驚いたもののなされるがままになっている。
「私は、物を知らない。」
「・・・・。」
唇を離して稚羽矢は囁いた。
「でも、学ぶから、一生懸命勉強するから、狭也は見限らないでくれ。 狭也がいなければ私は生きてもいけないのだから・・・。」
狭也は自分の不安が一気に流れ去っていくのを感じだ。こんなに自分を思ってくれている稚羽矢を見限れるだろうか。
「大丈夫よ。」
額をあわせて狭也は言った。
「だって、私は見限らない為に、あなたのそばにずっといたいがために、花嫁になるんだもの。」
その言葉を聞いて納得したのか稚羽矢は微笑んだ。そして2人はもう一度口付けを交わした。

→25,風




+声+

象子・・・・


「え・・・?」
象子はふと顔を上げた。だが其処にいるのは供物をささげに来た人々だけだ。
「どうされましたか、巫女姫?」
「今・・・声がしたような・・・。」
あのひとの、声だった。
「はて・・・?わしらには聞こえませぬが?」
「・・・・幻聴かしら?」
「巫女姫のお力で何か感じ取ったのではありませんでしょうか?」
「わかりません。・・・お供え物を、どうもありがとうございました。」
いいえ、と人々は象子に頭を下げて館を出て行った。
象子は、出雲という土地で巫女として地位を確立しつつある。 巫女を敬わない人が大半だった土地で地位を確立することは並大抵のことではない。 これは象子の努力の賜物だ。
「・・・本当に、どうしたのかしら、私。」
ぶるぶると頭を振った。幻聴が聞こえるなんてどうかしている。 ため息をついて象子は空を見上げた。
「遠子・・・・どうしてるかしら?」
出雲を出て行ったきり帰ってこない従姉妹姫。
「ねえ、遠子。わたくしは、どうしたらいいのでしょう・・・?」
この地で修行に励むだけでいいのか。本当は自由にどこかに行きたい、貴女のように・・・。
「遠子、逢いたい・・・。」

貴女にも、あの人にも。

「遠子・・・・菅流・・・。」
その声は、風に流された。

→29.花




+お邪魔虫+

「藤太。」
「なんだ、鈴?」
「この帯の結び方、教えていただけますか?」
「ああ、これはな。」
そう言って藤太は器用に結び目を作っていく。
「「・・・・。」」
見守る阿高と広梨。
「・・・阿高。」
「・・・・。」
むっつりとした顔で阿高は広梨の呼びかけに応じようとしなかった。
「・・・不貞腐れた顔は鈴の前ではしないほうが良いぞ。」
「不貞腐れてない。」
意地になって言い返す阿高に、広梨はやれやれと首を振った。 藤太は女になれている。今までたくさんの女の子に愛想をふりまくった賜物。 阿高は女になれていない。今までまともに話し合ったこともつきあったこともそうそうないからだ。
「だから、藤太が鈴の着付けをしても仕方がない。あきらめろ。」
「・・・・。」
「みっともないやきもちだな。」
その言葉と同時に阿高は立ち上がり、鈴の元に向かった。
「藤太。かわる。」
そういうと阿高は藤太の手から苑上の帯をとりあげ、器用に結んだ。

「「!」」

これには藤太も広梨も唖然。
「まぁ、阿高。この結び方は綺麗ね。どうやるの?」
「これは・・・・。」
そう言って結び目を解いて苑上の手をあてがいながら阿高はまた結び目を作っていく。
「どーして・・・・?」
広梨がポツリとつぶやいた。
「阿高はどうしてこの結び方を知っているの?すごく変わっているわ・・・。」
嬉しそうに苑上は阿高にたずねた。
「ああ、俺の母がこの結び方をしていたからさ。」
そういえば、と広梨は思い出した。阿高にはチキサニの記憶がある。

「・・・俺ら、お邪魔虫だな。」
「だな。」
阿高にやきもちを焼かせてやろうと思っていたのに、と藤太はいった。 それどころか、してやられてしまった。
「・・・さて、次はどうしようか。」
「何処までもお邪魔虫街道突っ走る気か、藤太?」
「もちろん。」
あかるく、藤太は言った。なんたって。
「なんたって、俺は阿高の叔父上だからね。」
にこりと言い放った藤太に広梨は拍手を送った。

←13.変身  →40.おしゃれ


+約束+

「必ず、帰るから。」
そう、貴方は言ったから、待ってみようと思ったんだ、私。


「まだ、お待ちになられるのですか?」
「ええ・・・・。」
「あれは帰ってこないかもしれませんぞ?何せ風のように無鉄砲な孫でしたからの。」
「いいえ、大丈夫です。彼は帰ってきます。」
「予見でも、でなさったのですか?」
「いいえ。違います。でも、はっきりとわかるんです。」

貴方の声が、私の中で反芻する。

老人は私を見上げて、目を眇めた。
私はその老人に微笑を浮かべて、強い意志を持って、言った。

「彼は、私に言ってくれたから、必ず帰るって。だから、待ってます。」

何年でも、何十年でも、私は待つでしょう。
それはとても馬鹿なことかもしれない。でも、私は待ちます。

だって、貴方を信じてるから。

←29.花   →28.雪




+若き日の…+

「けっけっけ・・・・若造が!こんな手でワシが負けるとでも思うたか!!」
威勢のいいおたけびを発あげながら老人が杯をあけていく。
「すごいわ、阿高!!あのご老人また杯をおあけになったわ!」
「鈴、アレはざるというんだ。」
「ざる?」
「いくら酒を飲んでも酔わないやつのことだ。」
「そうなの・・・・。」
そんなどこかのほほんとした会話を聞きつつ、藤太は舌打ちをしていた。 藤太もそこそこ酒はのめるが、この老人がここまでのものとは思っていなかった。
「(呑み比べ勝負になんでなっちまったんだろう・・・・。)」
もちろんそれはちょっとしたいざこざの勝負をつけるためである。そのいざこざの原因が何であったかもう酒が回った頭では 思い出せないが・・・。
「若造!もう倒れるか!!」
「くっ・・・!!」
藤太は唇をかんだ。広梨はもう床に転がっている。
「(阿高はあんまり飲めないしなぁ・・・。)」
冷や汗を流しながら藤太は思った。サイアク・・・・。
「ねぇ、阿高。」
のんびりとした苑上の声がどこからか聞こえてきた。
「お酒って、どんな味がするの?」
「・・・・・どんな味、か。」
阿高はお猪口にほんの一口にも満たない量を注ぎ、苑上に差し出した。
「舐めるだけにしろよ。広梨抱えて帰らなくちゃならないから鈴を支える余裕はないんだ。」
「ええ・・・・・・・・・・・・あれ?」
お猪口を舐めていた苑上の表情が変わった。
「・・・・・・・・・・・・薄い。」
「! お嬢ちゃん、なかなかいけるんじゃねぇか?」
「え?そうなんですか?」
「う・・・・うすい?」
藤太まで目を丸くしている。かっかっか、と老人は笑って藤太を見やった。
「それがわからんのか、若造よ。お嬢ちゃんはわかってるというのになぁ・・・。」
「そりゃ、鈴は今まで高級なものばっかり食べてたしなぁ・・・・。」
「・・・・。」
阿高は絶句している。
「お嬢ちゃん、どうだい?おれと呑み比べないか?」
きょとんとした苑上が頷いたのは、藤太を見てからしばらくしてからだった。

「ふ・・・・このわしが負けるとわな・・・・。」
ばたりと老人が机の上につっぷした。 その目の前にはそれに驚いてあわてている苑上がいる。
「・・・・・・・・・・・・。帰ろう、藤太。」
そうして若者と、少女は去って行った。

「あのときのあのじじいの"お嬢ちゃん・・・"って言った顔が忘れられないよ。」
「・・・それって"若き日の青春"というものの一部なの?」
「・・・・・なんだそれ?」
広梨が目を丸くして苑上に聞いた。
「藤太が言ってたの。」
「・・・・若き日の思い出かもしれないが青春でもなんでもないじゃん。」
酒なんて。

←39.市場  →09.その後




+ありがとう+

「あのねぇ、阿高。」
「なんだ、鈴。」
のんびりした田舎道を二人で歩く。
「わたくし、まだ言ってなかった事があるんです。」
「言ってなかったこと?」
苑上を見下ろして阿高は首をかしげた。苑上は空を見上げている。 視線をゆっくりと阿高へ移す。
「あのね・・・。」
阿高の顔をはっきりと見ながら苑上は言った。

「ありがとう。」

「・・・?」
「わたくしに、幸せをくれて。阿高がいなければ、わたくしは人形のまま、死んでいたでしょうから・・・。」
だから、と彼女は言った。
「ありがとう、阿高。わたくしの前にあらわれてくれて、ありがとう。」
「・・・・。」
少し黙ってから、阿高は真剣に苑上の顔を見て言った。」
「俺も。俺のそばにいてくれてありがとう。」







+大嫌い!+

「象子。」
「また来たの・・・・。」
呆れたように象子は言った。3日に1度、必ず菅流はやってくる。
「そろそろ、俺の嫁に来ない?」
ばしんっ、と警戒に音が響く。
「いい加減にしてちょうだい。」
今回の音源は手だった。象子の肩に回した菅流の手にはり手が飛んできたのだ。
「象子ぉ・・・冷たいなぁ。豊葦原をすみずみまで見てきた男が一番綺麗だと思った女を口説くのにはり手なんて。」
「だまらっしゃい!」
頬を少し染めて、象子は逃げた。
「私は巫女になるんですっ!だから付きまとわないでください。」
「やだね。ミドリを渡す相手はお前だって決めたんだから。」
にかっと菅流は笑った。
「んもぉ、しつこい!!」
逃げて、逃げて、逃げて。
「いい加減にして!!しつこい菅流は、大嫌い!」
きょとんとして菅流は言った。
「しつこくなかったら、いいの?」
象子ははっと口をつぐんだ。大変なことを言ってしまった様な気がする。 ああ、これからも大変だ。







+縛+

女は卑怯だと思った。その微笑を見てしまうと、その肢体の繰り出す鮮やかな弧を見てしまうと、抵抗できなくなってしまう。 どうして、こんなにも妖艶なのだろう?どうして・・・?
「・・・小倶那ぁ?」
「・・・・・・・。」
遠子を抱きしめたまま小倶那が動かなくなってはや10分。痺れを切らし始めた遠子が脱出を試み始めるお時間だ。
「いい加減にしてちょうだいっ!!何がしたいのかさっぱりわからないじゃないの!」
小倶那をやっとの思いで突き飛ばして遠子は顔を真っ赤にさせて怒った。
「だいたい、小倶那はいきなりすぎるのよ!何の前触れも無くどっかにいって、皆に迷惑かけたり・・・・。」
「なんだか・・・。」
ぽつりと小倶那が言葉を発したので遠子は黙って続きを促した。
「遠子が、いなくなってしまいそうな気がしたんだ・・・。」
遠子はそこら辺にいる女とは違う。覇気がある、美人だ、それだけで兵の何人にも好かれている。
「いつか、遠子がいなくなってしまうんじゃないかって・・・・。」
うつむく小倶那の頭に暖かいものがのる。遠子の手だ。
「そんなこと、心配してたの?」
「そんなこと、じゃないから心配してるんだよ。」
「私は何処にも行かないわ。」
断言する遠子の顔を不安げな表情で小倶那は見上げた。
「小倶那、わかってないわね。」
「なにがだい?」
「私がどうしてここにいるのか。貴方を追いかけてきたのよ?やっと追いついたんだから離れるわけ無いじゃない。 縄で縛ってでもついていくわよ!!!」
拳をぐっと握って断言する遠子の目の前でくすりと小倶那は笑った。

例え誰かに好かれようと、当の本人が自分のそばにいるといってくれているのだ。これ以上のものはない。

「うん、そうだね。」
「そうでしょ?」
笑いあって2人は額をよせあった。
「じゃ、僕は遠子を捕まえてるんだ。」
「ちがうわ、私が捕まえてるのよ。」
そして2人でくすりとほほえみあう。







+帰+

稚羽矢はしげしげと狭也を見つめた。いや、正確にはその腹を。はちきれそうに膨らんだその腹を。
「・・・あまり見られると恥ずかしいわ。」
「わたしはそうは思わない。」
興味しんしんに稚羽矢はしげしげと眺めている。よほど興味があるのか。
「稚羽矢・・・。」
「まぁ、稚羽矢様。」
ちょうど狭也の部屋に侍女が入ってきた。しげしげと狭也の腹を眺めている稚羽矢に驚く。 またか、と。
「狭也様はもう臨月におなりですわ。そう見ものにされては狭也様のお体に障ることもございますのよ。」
「そうか、気をつけることに・・・。」
そのとき小さく狭也がつぶやいた。
「? どうしたんだ、狭也?」
「う・・・。」
「「う?」」
稚羽矢と侍女の声が重なった。
「生まれる・・・。」
「・・・生まれるってどういうことだ?!」
「た、大変ですわっっ!!」
そこから瞬く間に、波紋のように騒ぎは広まった。いろいろな意味で。

開都王はため息をついて、このひ何度目かのせりふを言った。
「獣のようにうろうろするのはやめたらどうだ、稚羽矢、科戸王。」
はた、と二人は立ち止まり目線を合わせてすぐに断ち切った。そのやりとりもこの日何度目かである。
「心配なのはわかるがなぁ・・・。」
「狭也は。」
ポツリともらすようにこの日何度目かのせりふを稚羽矢は言った。
「大丈夫なのだろうか。」
あのあと急に苦しみだした狭也をなだめようとしたとき侍女に稚羽矢は追い出されてしまったのだ。 それからは彼女の痛みに耐える叫び声が時々かすかに聞こえてくるだけだ。様子が気になるが狭也の部屋へと続く回廊は皆女に塞がれている。
「狭也・・・。」
「まぁ、大丈夫だろう。」
「・・・。」
そして稚羽矢と科戸王はあてもなく部屋をうろうろとしだした。そして開都王はまたため息をつくのだった。

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+悪+

何が悪いのか。
生まれてきたことが?
生きてきたことが?
何が悪いのか。

彼女と生きたいと願うことが?

何かを望むことを赦されているかさえもわからない。

生まれてきたことが罪な僕に、善はあるのか?










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